「子どもが何を伝えたいのか分からなくて、お互いにイライラしてしまう」
「自分の要求がうまく通らないと、すぐに激しい癇癪を起こしてしまう」
「まだ言葉が出ないから、意思疎通を図るなんて無理なのではないか」
放課後等デイサービスや児童発達支援の現場、そして毎日のご家庭の中で、このようなコミュニケーションの壁に突き当たり、深く悩まれている保護者や支援者の方は少なくありません。
周りの子が言葉で上手に気持ちを伝えている姿を見ると、つい焦ってしまい、「どうしてこの子は喋ってくれないんだろう」と自分を責めてしまうこともあるでしょう。
しかし、長年現場でお子さんたちと向き合ってきて、私が強く確信していることがあります。
それは、「言葉が出ない」ということと、「伝えたい気持ちがない」ということは、まったくの別物だということです。
言葉を持たないお子さんも、心の中には「これがしたい」「あれが欲しい」「助けてほしい」という豊かなメッセージをたくさん持っています。ただ、それを周囲に伝えるための「適切な道具(手段)」をまだ手に入れていないだけなのです。
今回は、言葉の壁を乗り越え、子どもの「伝えたい!」を自発的な行動に変えていく絵文字カードを使ったコミュニケーション支援「PECS(ペクス)」の基本と、現場で起きる劇的な変化について、児童発達支援管理責任者(児発管)の視点から詳しくお伝えします。
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目次
この記事でわかること
- 単なる「カード学習」とは違う、PECS(ペクス)の本来の仕組みと特徴
- 言葉が出ないお子さんが「癇癪や大声、他害」を起こしてしまう根本的な理由
- 「カードを渡したら伝わった!」という成功体験がもたらす心の安心感
- 現場発。絵カードを使って子ども自身から動く力を引き出すステップ
- 発語やジェスチャー、視線の変化など、絵カードの先にある様々な成長の可能性
- 支援者や保護者が本当に目指すべき「コミュニケーション支援」のゴール
PECSとは何か?単なる「絵カード」との決定的な違い

療育の現場や特別支援学校などでよく目にする「絵カード」。しかし、今回ご紹介するPECS(Picture Exchange Communication System:絵カード交換式コミュニケーションシステム)は、一般的な「絵カードを見せるだけの活動」とは中身がまったく異なります。
その本質と、PECSが子どもの脳と心に育む力を分かりやすく解説します。
① PECSの最も重要な特徴
- 通常の絵カード:
大人が子どもに「これは何?」「リンゴはどれ?」と問いかけ、子どもがそれを指差したり答えたりする「受け身」の学習になりがちです。 - PECS(ペクス):
子ども自身が「ジュースがほしい」「おもちゃで遊びたい」と思ったときに、自分からカードを手に取り、それを大人(相手)の手へ直接「手渡す」ことで要求を伝えます。
② なぜ「手渡す(交換する)」ことが重要なのか?
PECSの最大のポイントは、カードをただ見せる・指差すだけでなく、相手に手渡して「交換する」という動作にあります。 これにより、子どもは「自分から相手へ働きかける」という、コミュニケーションの最も本底にある強力なルールを体感として学ぶことができます。大人が気づいてくれるのを待つのではなく、自分の意思で世界を動かす実感を味わえるのが、PECSの最大の特徴です。
実践1|言葉が出ない子どもの「困った行動」の背景にあるもの
言葉で伝えることが難しいお子さんたちの日常を想像してみてください。 「お水が飲みたいのに、誰も気づいてくれない」 「もうこの活動を終わりたいのに、やめさせてもらえない」
このようなとき、伝え方が分からない、あるいは何度一生懸命に伝えようとしても相手に分かってもらえなかったという「失敗体験」や「伝わらない諦め」が積み重なると、子どもたちの心には強烈なフラストレーションが溜まっていきます。
その結果、なんとかして自分の限界や要求を周囲に気づかせようとして、以下のような行動として現れてしまうのです。
- 激しい癇癪や大声:
「どうして分かってくれないの!」という心の叫びです。 - 物を投げる・お友達を叩く(他害):
言葉の代わりに、身体全体を使って「嫌だ!」「こっちを見て!」を表現しています。 - 活動への拒絶・引きこもり:
「どうせ伝わらないからもういいや」という、諦めからくる防衛反応です。
これらは決して、その子の性格が悪いわけでも、わがままで動いているわけでもありません。「適切な伝え方の道具」を持たない子が、パニックになりながら発している、切実なSOSの形なのです。
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実践2|現場で出会った「私の声が届いた!」と確信した瞬間
私の放課後等デイサービスに通う、ある言葉での表現が難しいお子さんのエピソードをご紹介します。
そのお子さんは、おやつや自由時間の際、自分が何をしてほしいのかを上手に出力できず、大人が意図を汲み取れないと、すぐに自分の頭をポカポカと叩いてしまう(自傷)など、強い癇癪を起こしていました。保護者の方も「毎日、何に対して怒っているのかクイズを解いているようで、本当に心が休まりません」と疲れ果てていました。
そこで私たちは、彼と一緒にPECSを使ったアプローチを導入することにしました。
最初は、彼が好きなお菓子のカードを、大人の手のひらに「ぽん」と乗せる練習からスタートしました。 彼がカードを大人の手に乗せたその瞬間、大人は「あ、お菓子が欲しかったんだね!どうぞ!」と、満面の笑みで即座にお菓子を渡します。
「カードを渡したら、自分の願いが完璧に通じた!」
この目の前がパッと開くような成功体験を経験した瞬間から、彼の行動は劇的に変わり始めました。 これまで自分の要求が通らないと床にひっくり返って泣いていた子が、すっと立ち上がり、自分で絵カードが貼ってある場所まで行き、お目当てのカードを選んで職員のところまでトコトコと歩いてきて、大人の手を引いて「これちょうだい」とカードを手渡してくれるようになったのです。
「癇癪を起こさなくても、大声を出さなくても、このカードを使えば大好きな大人は一瞬で僕の気持ちを分かってくれる」
その圧倒的な安心感を得てからというもの、彼の自傷行為や癇癪は驚くほど減っていきました。それどころか、カードを渡す瞬間に、それまでほとんど出なかった「あ!」「お!」という自発的な発声(発語の芽生え)や、大人の目をじっと見つめる(視線を合わせる)という、豊かなやり取りの変化まで見られるようになったのです。
実践3|コミュニケーション支援で最も大切な“伝わった成功体験”
PECSを取り入れる上で、私たち支援者や保護者が絶対に忘れてはならない本質があります。それは、「PECSのゴールは、綺麗なカードの使いこなさせ方(技術の習得)ではない」ということです。
子どもが「伝えたい」「分かってほしい」と思ったその瞬間に、自分から相手へ働きかけ、大人から「分かったよ、応えるね!」という温かいフィードバックをもらう。この「伝わった!」という心地よい成功体験の積み重ねこそが、すべてのコミュニケーションの原動力になります。
日常や現場でこの安心感を育てていくために、大人の側が意識したい大切なポイントを整理します。
- 「正しい方法」にこだわりすぎない:
言葉で話せるようになることだけが正しいわけではありません。カードを使う子、ジェスチャーで示す子、視線や大人の手を引く(コミニュケーション行動)ことで伝える子など、表現の形は一人ひとり違って当たり前です。大切なのは「その子が今、一番ストレスなく使いやすい道具を持てているか」という視点です。 - 話せるように「させる」のをやめる:
「喋りなさい」「ちゃんと言って」と大人が強要すると、子どもにとってコミュニケーションは「苦痛な宿題」になってしまいます。大人が行うべきなのは、話せるように無理に矯正することではなく、「話したくなる、伝えたくなる環境(伝わりやすい道具)」をそっと目の前に準備してあげることです。 - 小さなやり取りの変化を全力で喜ぶ:
カードを手渡してくれた瞬間だけでなく、カードを指差した、大人に関心を持ってこちらをチラッと見た、といった微細な「人への興味・サイン」を見逃さず、「伝えてくれてありがとう!」という姿勢で応えていくことが、子どもの自立心を驚くほど育てていきます。
PECSが“効果を発揮しやすかった支援”に共通していたポイント
| 効果につながりやすかった関わり | 背景にあった理由や意味 |
| 子どもからの自発的な発信を大切にしていた | 「伝えれば伝わる」という実感につながっていた |
| 要求が伝わった瞬間にすぐ応えていた | コミュニケーションの成功体験を積みやすかった |
| 発語だけをゴールにしていなかった | 子どもが安心して表現手段を使いやすかった |
| 小さなサインも見逃さず受け止めていた | 人とのやり取りの楽しさを感じやすかった |
| 「伝わった喜び」を一緒に共有していた | コミュニケーションへの意欲を育みやすかった |
さいごに|絵カード(PECS)を使ったコミュニケーション支援の基本
言葉の遅れや意思疎通の難しさを前にすると、どうしても私たちは「どうしてこの子は喋らないのだろう」というマイナスの部分にばかり意識が向いてしまいがちです。
しかし、PECSという道具を通して子どもの内面を覗いてみると、そこには「これが好き」「これがしたい」「先生、一緒にやろう」という、愛おしいほどの伝えたいエネルギーが溢れていることに気づかされます。
絵カードを一枚、大人の手のひらに乗せる。その不器用で小さなアクションは、言葉を持たないお子さんにとって、世界に向けて発せられた最大級の「自発的な言葉」です。
その一枚のカードを大人が両手でしっかりと受け止め、「分かったよ!」と笑顔で応えてあげること。その瞬間、子どもと大人の間には、言葉の壁を軽々と飛び越える、強固で温かい信頼のホットラインがつながります。
どの方法が正しいかではなく、その子が一番笑顔でいられる方法を一緒に探していくこと。 これからも私たちは、現場やご家庭と手を取り合いながら、子どもたち一人ひとりの「伝わった!」という輝くような笑顔の瞬間を、一つひとつ丁寧に増やしていきたいと心から願っています。
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Q&A|よくある質問
Q1. 絵カード(PECS)を使い始めると、カードの便利さに甘えてしまって、ますます言葉(発語)が出にくくなってしまうのではないかと心配です。
A. 心配いりません。むしろ逆です。PECSを使うことでコミュニケーションの楽しさや「相手に伝える意味」を脳が深く理解するため、結果として発語(言葉を話すこと)を促進する効果があることが研究や現場のデータでも実証されています。 言葉が出ない子は「話すのをサボっている」のではなく、「どうやって音を出して相手に伝えたらいいか分からない」状態です。カードを使って「相手に意思が伝わると、自分の世界が良くなる!」というコミュニケーションの心地よさを十分に味わうと、脳の言語を司る部分が刺激され、カードを渡す瞬間に「あ!」「ちょ(ちょうだい)」といった自発的な音声が自然と伴うようになるケースが非常に多く見られます。言葉を引き出すためにも、まずはカードで「伝える楽しさの土台」をしっかり作ってあげることが近道になります。
Q2. 自宅でもPECSを始めたいのですが、家の中のすべてのおもちゃや食べ物のカードを完璧に用意しなければいけないのでしょうか?
A. 最初から完璧なセットを作る必要はまったくありません。まずは「お子さんが日常で最も激しく、強く要求するもの(一番大好きなお菓子、お気に入りのおもちゃなど)」の、たった1〜2枚のカードからスタートしましょう。 最初から大量のカードを用意すると、子どもも大人も選ぶのが大変になり、挫折しやすくなります。例えば「ポテトチップス」や「アンパンマンのぬいぐるみ」など、「これだけは絶対に毎日欲しがる!」という大好物をターゲットにします。それを大人の手に見せて渡せたら、1秒以内でお望みのものを差し出す、というシンプルな成功体験を1つのカードで徹底的に繰り返してください。その「1枚の必勝カード」で手渡すルールが体に染み込んでから、少しずつ他の食材や遊びのカードを増やしていけば十分です。
Q3. 園や学校の先生に、家で使っている絵カードをそのまま持って行って使ってほしいとお願いするとき、どのような伝え方をすれば協力してもらいやすいですか?
A. 「このカードを使うと、本人がパニックにならずに自分の気持ちを落ち着いて教えることができるので、先生方のクラス運営の負担も減らすことができます」という視点で相談してみましょう。 先生方も大勢の子供たちを見ているため、「新しい指導方法を覚えてください」と言われると負担に感じてしまうことがあります。相談する際は、「家でおやつの時や遊びの切り替えの時に、このカードを大人の手にぽんと渡すようにしたら、言葉が出ないストレスからの癇癪が劇的に減ったんです」と事実を伝えます。その上で、「もし園生活でも、本人がどうしても困って泣いてしまった時などに、この『おしまい』や『手伝って』のカードを本人の近くにそっと置いて、手渡す形で使っていただけると、本人がすぐに落ち着きやすくなると思います。先生方のお手を煩わせない範囲で、お守り代わりに置いておかせてもらえませんか?」と、具体的なメリットを添えて伝えると、現場でも非常に受け入れやすくなります。
【注意事項】
本記事は、児童発達支援管理責任者、心理カウンセラー、言語聴覚士をはじめとする専門家個人の知見や経験、学術的背景に基づいて執筆・監修されたものです。子どもの特性や発達の状況、支援との相性には大きな個人差があり、すべての子どもに同様の効果や変化を保証するものではありません。また、本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の診断や医療行為、個別の療育指導に代わるものではありません。実際に支援方法や対応を判断される際は、必要に応じてお子様を普段から知る主治医や専門家、支援機関などにご相談の上、ご自身の判断のもとで参考情報としてご活用いただきますようお願いいたします。



